天下統一を成し遂げ徳川幕府を開いた徳川家康
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
が有名ですね。
徳川家康は非常に健康に気をつかっていて、江戸時代の平均寿命が30〜40歳と言われているなか、73歳まで生きた長寿の武将としても知られています。
そんな徳川家康の死因が、なんとフグの毒で食中毒を起こしたという説があるのです。
家康の死因といえば、天ぷらの食べ過ぎで死んだということを聞いた覚えがありますが…
果たして真相はどーなんでしょうか?
そこで今回は
- 徳川家康の死因がフグの毒説
- 鯛の天ぷら食べ過ぎ説
- 胃がん説
以上の内容でお送りしたいと思います。
目次
フグの毒による食中毒説
徳川家康がフグを食べ、その際にフグの毒にあたったことが死因とされている説があるようですが、調べたところガセ情報でした。
なぜそう思ったのかを解説していきたいと思います。
文献などの情報がない
徳川家康の死因で有名な天ぷら食べ過ぎ説の場合は、いつどこで天ぷらを食べたか等の情報が文献にしっかりと残されています。
しかし、フグの毒にあたった説の場合は記録が残されているわけではないので、かなり信憑性は低いと思います。
当時フグは食べることを禁止されていた
徳川家康が亡くなったのは1616年4月16日ですが
1598年に豊臣秀吉が、朝鮮出兵の際に兵がフグを食べ食中毒を起こし大量の死者を出すという事故をきっかけに「河豚(ふぐ)食禁止令」を出しました。
禁止令を破った場合には、「家禄没収」や「家名断絶」などの厳しい処分がありました。
この禁止令は初代内閣総理大臣・伊藤博文公が1888年に山口県令(知事)に働きかけて
ふぐ食が解禁されるまで続いています。
好奇心旺盛な徳川家康ですが、食に関しては慎重で
知らない物は食べないようにしていたり、夏場でも食事は全て温めて食べていたそうです。
そんな家康がわざわざ禁止令を破ってまで毒を持っているフグを食べることは考えにくいです。
フグの毒による食中毒説はただの噂
徳川家康がフグを食べたというしっかりとした情報がないことや当時フグを食べることは禁止されていたことを考えると
『鯛の天ぷらを食べて死んだ』の鯛がフグと間違えて伝わっただけなのではないでしょうか?
確かに、死因が鯛よりもフグの方が収まりがいい気もします。
鯛の天ぷら食べ過ぎ説
先ほどから徳川家康の死因が「鯛の天ぷら説」と紹介していますが、その内容はいったいどのようなものだったのでしょうか?
1616年に鯛の天ぷらが流行っていました。
徳川家康は田中城を訪れた際に献上された鯛の天ぷら(天ぷらといっても現在の衣があるものとは違いさつま揚げのようなものだったとされています)を上機嫌で食べました。
当時は食用油は貴重で天ぷらは高級品だったようです。
しかし、天ぷらを食べた翌朝から激しい腹痛を起こしてしまいます。
駿府城に戻って療養をするも、病状は回復と悪化を繰り返し、天ぷらを食べてから3ヶ月後の1616年4月17日に亡くなってしまいます。
この状況だけみると確かに死因は鯛の天ぷらにあるように思えますが、
- 食中毒が死因なら腹痛の発症から死亡まで3ヶ月は時間がかかり過ぎている、
- そもそも天ぷらは高温調理しているので菌は死んでいるのでは
といった見解もあり、天ぷら食べ過ぎ説は徳川家康の死因として一般的ではありますが、疑問の声も多いようです。
胃がん説
鯛の天ぷら説の信憑性が低いということで、浮上してきたのがこちらの『胃がん説』です。
なぜ胃がん説が有力視されているのかというと
- 胃がんの症状の記録がある
- 徳川家はがん家系
といった情報があるからです。
胃がんの症状
徳川家康は晩年の病状として
吐血・痩せていく・黒色便・腹部に触診で確認できるほどの大きなシコリ
こういった胃がんと同じ症状があったようです。
徳川家はがん家系
徳川幕府二代将軍、徳川秀忠も死因は胃がんだったとされています。
また、水戸黄門で有名な水戸光圀(家康の孫にあたる)の死因も食道がんであったことが推定されています。
まとめ
今回は天下統一を果たした天下人徳川家康の死因について調べてみました。
- 徳川家康の死因がフグの毒によるものという情報はウソ
- 一般的には鯛の天ぷらが有名だが信憑性が低い
- 胃がん説が有力
真相はわかりませんが、そこがまた歴史の面白いところですね。
今後も化学の発展や歴史資料の新たな発見などにより新しい説や考えが生まれてきて議論や考察に花を咲かせたいです。
最後までご覧いただきありがとうございました。